●ランバ・ラル専用ザクTカスタム●
MG1/100ザクTカスタム というか、F2ベースです。
U.C.0071年。公国軍は、ミノフスキー粒子が散布された環境下における新兵器の開発に着手した。ミノフスキー粒子が散布された空間では、ある範囲の波長域の電磁波が著しく滅衰する。さらに、その濃度によっては、超LSlなどの集積回路に機能瞳害を引き起こす。そのため、レーダーによる長距離探査や索敵、通信などが阻害され、無線による遠隔操作や高度なナビゲーションシステムなどによる、いわゆる「近代的な電子戦」は、コスト、サイズ、重量などの面で不可能となってしまう。このような環境下において、最も有効な兵器として開発されたのがMS(モビルスーツ)なのである。 |
MS-05は充分に優秀な機体であったが、各種の戦術や部隊編成、大隊規模の作戦行動における稼働時間など、様々な問題も表面化していた。これらは主にボディ内部の容積率の問題から、動力系の機能向上が限界に達していたためと言われ、牲能を維持あるいは更新しつつ、生産性や整備性の一層の向上が求められていったのである。こうしてMS-05の生産はA,B型あわせて約800機を超えた時点で終了し、更なる高性能化を目標にMS-06「ザクU」が開発された。この時点で、公国重の主力兵器の座はMS-06に禅譲されたが、それはMS-05の量産によって得られた技術的蓄積があれぱこそであり、その意昧で、MS-05こそが、実質的なMSの祖であるということができるだろう。それは、公国軍の台所事情を別にしても、この機体が生産終了後も存分に稼働していたという事実が、この機体の優秀さを十二分に証明している。 | |
U.C.0078年1月、公国軍は、MS-06Cの量産を開始した。しかし、当初その生産数は決して多くはなかく、MS-05との混成部隊も少なくなかったという。この時期、公国軍は表立った大規模戦闘を避けていたものの、諜報活動やコロニー間の通商妨害および侵略などは積極的におこなっていたと言われている。実際、連邦政府との関係は極度に緊張状態にあり、MSはゲリラ的に運用をされる場合が多かったとされている。当然、遠方から観測されやすい武器の使用は極力避ける必要があった。ザクが戦闘において斬撃用の武器を多用したのも、可能な限りの隠密性を確保するためだったらしい。無論、それは”ゲリラ屋”を自認するランバ・ラルの部隊においても同様だっただろ。特に、彼が愛用した大型のヒートホークは、ドズル・ザビが参考にしたという噂もあるほどの業物だったと語り継がれている。 | |
U.C.0079年1月8日。サイド1の工業コロニーに立てこもり抗戦を続ける連邦の駐留軍に対し、その施設を確保したい公国軍は、BC兵器を投入するわけにも行かず、ゲリラ部隊による制圧を図った。命令を受けたランバ・ラルは、多数の内火艇とミサイルで武装したコロニーの港湾を避け、ムサイを囮として駐留軍を港湾に釘付けにし、高速で回転する地表面から直接シリンダー内に侵入。港に陣取る駐留軍の背後から襲撃するという両面作戦で駐留軍を撹乱。コロニーの施設を無傷で制圧した。この作戦の成功により、ラルの”戦(いくさ)上手”としての評価は益々高まったとされ、ドズル自らが戦場視察の名目でそのコロニーで凱旋セレモニーを催し、ラルの戦功を称えたといわれる。
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MS-04の実戦テストより開発に携わっていたラルの機体は、普通に工場のラインよりロールアウトした機体ではなく、様々な試験的装備を施されていた。公国軍が超小型反応炉の開発に手間取り、開戦まで十分な開発時間がかけられなかったため、実戦に投入した機体よりデータのフィードバックを受け、さらなる改修を施すということの繰り返しだった。ラルはそのデータの蓄積に非常に貢献した人物である。ブリティッシュ作戦に反対し軍を除隊する直前のラルの機体は、核装備を取り外したF型と呼ばれるモデル、さらに改修されるFUといわれる機体の特徴を持っていたといわれる。 |
ジ・オリジンで黒い三連星とMS-04の実戦テストをしているランバ・ラルを見て思いつきました。ランバ・ラルは開発途中、発展改良中のザクに乗るのがふさわしいと・・・ 下地サーフェイサー1200番。 左)GFFとの比較。 |