関山胎道

 明治11年、早川智寛が野蒜築港内務省土木局出張所の主任に就き、東北地方の国際貿易港として計画された野蒜港の建設が動き始めた。すると、野蒜と山形県とを結ぶ道路の開鑿が計画され、同年5月に宮城県令・宮城時亮と山形(鬼)県令・三島通庸が会談し、関山峠にトンネルを通す計画が選定された。明治12年11月から宮城県側の作並街道で工事が始まり、明治13年6月に山形県側の関山街道で工事が始まる。明治15年6月竣工。

 高度経済成長期に入ると自動車が飛躍的に進歩、発達し物流が活発化した。旧路線は急勾配や急カーブの連続、落石・土砂崩れ・積雪・雪崩などによる事故が多かったため、関山隧道より標高の低いところに新トンネルを建設することとなった。昭和38年着工、昭和43年11月21日完成した。これにより交通は現道に移ったが、旧道はひっそりと残される。

 関山胎道が通行禁止の為通り抜けは出来ないが、山形側は胎道までバイクで進入可能。宮城側は完全にゲートになっているので、徒歩でしか進入できない。胎道は土木遺構に指定されているので一見の価値はある。

 路盤は締固められた土ダートだが、長年人が通っていないのでブヨブヨっている場所もある。初心者は進入しない方が良いだろう。

令和5年10月現在

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